【やまなし】「3.1ビキニデー」に参加しました

2024年4月 2日

被災から70年の節目となった「3.1ビキニデー」に山梨からも組合員が参加し、神奈川・静岡の組合員とともに墓参しました。

献花墓参行進では、多くの参加者が列をつくり核兵器廃絶の思いを込めて行進しました。地元では、沿道や玄関先から労いの言葉がかけられ、核兵器廃絶を願う活動への関心の高さがうかがえました。

墓前祭では、参加者が久保山船長の好きだった「赤いバラ」を献花し、鐘を鳴らしました。

午後のビキニデー集会では、実行委員会代表や焼津市長の挨拶、広島市市長、長崎市市長のメッセージ紹介などがあり、ビキニ水爆被災70年~たたかいは終わらない~と題して報告がされました。

【当日スケジュール】
  9:30~11:30 献花墓参行進  焼津駅~弘徳院
 13:30~16:00 3.1ビキニデー集会 静岡市民会館

   ※参加者の交通費の一部に「平和の活動募金」を活用させていただきました。

9時30分 行進出発前の焼津駅にて

10時30分頃 弘徳院にてユーコープのみんなと

<参加者の感想>

[ビキニ水爆70年、ヒロシマ・ナガサキ80年]

節目の年「3、1ビキニデー」が持つ重要な意味を感じ参加しました。

「核兵器によって苦しむ人が二度と出ないように」というビキニ環礁の水爆実験での被害者たちの思いをあらたに。

集会では高知県・マーシャル諸島共和国からの報告、石川・福島からの訴えもあり…マーシャル被爆難民は再び環境難民になると。

第五福竜丸乗組員の大石さんが語るきっかけになったのは東京の中学生たちの言葉だったことも発言者から聞けました。

 ※この学校の図書室には第五福竜丸の模型が常時展示されています。孫たちが通学、娘もここでした。

被爆者を放置してきたことは許されず、被爆者の高齢化で時間の猶予かない中、現行「被爆者援護法」では被爆者健康手帳を持っていても認定されている人は数%、そして「黒い雨」に遭った者はみんな認定をと、この理不尽な被爆者施策の転換と核兵器廃絶を求めて被爆者自身が戦ってきました。

第一回原水爆世界大会が開催されてから今日まで未だ「核兵器のない世界」は実現されず、ロシアからウクライナへの軍事侵攻を始め解決の見通しがたたない中、核兵器使用の危険性は増大しました。