2009年5月13日
3月31日から4月2日、2家族・6名の方が市民生協やまなしの組合員代表として、沖縄戦跡・基地めぐりに参加しました。(主催・日本生協連、沖縄県生協連) 第2次世界大戦中、日本で唯一地上戦が行われ、今もなおアメリカ軍基地が点在する沖縄の地で、多くの参加者とともに学び、感じ、考えました。
沖縄 戦跡・基地めぐり
※右の写真は昨年のもの
自然にできた洞窟「壕」は沖縄のあちこちに点在しています。
沖縄戦の最中は、多くの壕が住民の避難場所や陸軍病院として使われました。
糸数壕もその一つです。
参加者は実際中に入り、当時のようすを説明してもらいました。
糸数壕に行き、戦争の悲惨さを体感できました。中のさまを見て今でもすごく切ない気持ちが残っています。そしてこのように国民にこんな辛い思いをさせたわが国に対しても怒りが出てきました。
ガマ(壕)内にまだ残されている生活用具。あんなに暗い中に身を潜めて、いつも命の危険を感じながらこんな中で過ごして行くなんて、今の生活からは考えられません。
年月が過ぎ、人の歯が石面と同化しているのを見ました。お墓の中にいるような切ない気持ちでいっぱいになりました。
県立平和祈念資料館にある平和の礎(へいわのいしじ)。
国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻まれています。 黒い御影石が何重にも並べられ、その被害の甚大さを伝えています。
沖縄戦では、約3ヶ月で一般市民、軍人合わせて20数万人の方が亡くなりました。
何十万の人が戦争で亡くなってしまったんだということがよく分かりました。私と同じ古屋と言う人もたくさん亡くなっていました。(中略)このような何十万の人が亡くなってしまう戦争がもう二度と起こらないようにしたいと思いました。
ひめゆりの塔は、ひめゆり平和祈念資料館の敷地内にあります。
沖縄戦末期、米軍のガス弾攻撃を受け、多くのひめゆり学徒や陸軍病院関係者が亡くなった伊原第三外科壕の上に建てられた慰霊塔です。
(ひめゆり平和記念館ホームページより抜粋)
元ひめゆり学徒隊の島袋さんのお話は、あまりの惨たらしさに耳をふさぎたくなる体験談で、今まで映画や本で見てきたイメージとはかけ離れた話に驚き、真実を伝え美談にして終わらせず決して戦争を起こしてはいけないという気持が伝わりました。
沖縄戦が終わった後、地上にはおびただしい数の身元不明の遺骨が残りました。
これを住民達が集めて葬った場所に建てられた慰霊碑が「魂魄の塔」です。
今でもたくさんの沖縄県民が、亡くなった方の冥福を祈りに訪れます。
参加者も花を手向け、心から冥福をお祈りしました。
[一部抜粋]