コープのとりくみ

平和への願い 「平和活動」

60数年たっても生々しく残る傷跡
「沖縄 戦跡・基地めぐり」 参加報告

2010年4月30日

 3月30日から4月2日、2家族・3名の方が市民生協やまなしの組合員代表として、沖縄戦跡・基地めぐりに参加しました。(主催:日本生協連、沖縄県生協連)   第2次世界大戦中、日本で唯一地上戦が行われ、今もなおアメリカ軍基地が点在する沖縄の地で、多くの参加者とともに学び、感じ、考えました。

ひめゆりの塔

ひめゆりの塔

平和祈念資料館にある平和の礎沖縄戦で亡くなった方の名前を刻む…
平和の礎

県立平和祈念資料館にある平和の礎(へいわのいしじ)。
国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名が刻まれています。 黒い御影石が何重にも並べられ、その被害の甚大さを伝えています。
沖縄戦では、約3ヶ月で一般市民、軍人合わせて20数万人の方が亡くなりました。


 

間近に見るひめゆりの塔間近に見るひめゆりの塔

ひめゆりの塔は、ひめゆり平和祈念資料館の敷地内にあります。
沖縄戦末期、米軍のガス弾攻撃を受け、多くのひめゆり学徒や陸軍病院関係者が亡くなった伊原第三外科壕の上に建てられた慰霊塔です。
(ひめゆり平和記念館ホームページより抜粋)


 

魂魄(こんぱく)の塔魂魄(こんぱく)の塔

沖縄戦が終わった後、地上にはおびただしい数の身元不明の遺骨が残りました。

これを住民達が集めて葬った場所に建てられた慰霊碑が「魂魄の塔」です。

今でもたくさんの沖縄県民が、亡くなった方の冥福を祈りに訪れます。

参加者も花を手向け、心から冥福をお祈りしました。


 

参加者の感想[一部抜粋]

  • 沖縄戦の恐ろしさ
     私は、3月30日からの3日間、沖縄で戦争の事を学びました。
    1日目、飛行機で空から沖縄を見た時、海はきれいで本当にこんな所で戦争なんてやっていたのかなと思いました。この日はひめゆり学徒隊だった宮城きくこさんがその時の事を話してくれました。次に紙しばいで宮森小学校という所に米軍飛行機がつっこんでしまったという話を聞きました。この二つの話で小学生や中学生の命がたくさん奪われたという事が分かりました。
    2日目には、嘉数高台や糸数壕、県立平和祈念館にひめゆりの塔、魂魄の塔を見学しました。この日は昨日とちがい、直接見たり入ったりしました。特に糸数壕は実際に中に入りました。その時は、みんな懐中電灯を持っていたけど、戦争中はろうそくの火だけでいろいろやっていたし、中はとてもすべりやすくて、大変だったろうと思いました。県立平和祈念館は、犠牲となった人々の名前が書いてありました。山梨県の人も大勢犠牲になっていました。海ぞいには何とかの塔というのがとても多かったです。
    3日目は、司令官があった首里城や、対馬丸記念館を見学しました。ここではすごいと思った所がいくつもありました。首里城の木はほとんどたおされ、今は1本しか残っていないという事や対馬丸記念館の高さは、対馬丸の甲板と同じだという事などいろいろありました。
    この3日間で私は、赤ちゃんから老人まで犠牲者が大勢いたという事を学びました。今でも普天間基地で、沖縄の人が困っているので、早く解決してほしいです。 (参加した小学生の感想より)

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