2010年3月 3日
2010年3・1ビキニデーは、墓参行進1200人、墓前献花者1300人、ビキニデー集会1500人の参加者がありました。
焼津駅からの墓参行進
静岡県実行委員会代表委員の川本司郎原水爆被害者の会会長は、主催者挨拶で核廃絶の論議が国際政治に取り上げられたことを評価しながら「核兵器保有国はいまなお、核に戦争抑止力があるという考え方を捨てていない」と断じ、核兵器前面禁止に向けて日本中の草の根の行動を圧倒的に広げようと呼び掛けました。
地元焼津市長の挨拶、焼津の合唱団の演奏、朗読サークルの参加やNPTニューヨーク行動参加予定の若者たちが次々と壇上にあがり、昨年コープしずおかで開催した「被爆・戦争体験を聞く会」で平和紙芝居を上演された、静岡県伊豆市の佐治麻希さんの決意表明もありました。
最後に「被災56年2010年3・1ビキニデー集会アピール」が採択されました。
今から56年前の1954年3月1日、ビキニ環礁沖で行われたアメリカの水爆実験で、静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23名が「死の灰」を浴び、急性原爆症のため無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。
このビキニ事件で、海産物だけでなく日本各地の食品の放射能汚染が問題となり、食の安全・安心を求めて生協組合員が立ち上がりました。その流れを受け継ぎ、生協では平和運動に取り組んでいます。